北野天満宮で撫で牛をなでるとご利益が!?受験生が触る所とは?

京都

合格祈願にも人気がある北野天満宮へ。

参拝したのは平日でしたが、友達と一緒に合格祈願に来ている学生さんたちや、受験を控えた子供をもつ親御さんたちも沢山見かけました。

北野天満宮に入るとすぐに撫で牛が沢山あり、全部で10体以上はありそうです。

そして、この撫で牛をなでるとご利益があるとか^^

そのなでる理由と受験生が触っておきたい所などをまとめてみました。

合格祈願に撫で牛をなでる理由となでる場所は?

北野天満宮など道真を祀る神社の境内にはたくさんの牛の像「撫で牛」が置かれています。

撫で牛は、横たわった牛の像で、牛が道真の使者とされていることから、その頭をなでると頭が良くなると伝えられています。

牛が使者とされているのは、道真が「丑年生まれであったこと」「亡くなったのが丑の月の丑の日だったこと」「道真の遺骸を牛車に乗せて運ぶ途中、牛が伏して動かなくなりその地(=太宰府天満宮)に埋葬されたこと」など諸説あります。

また、頭だけでなく、自分の身体の悪い場所と同じ場所をなでるとそこが治るともいわれています。

北野天満宮の赤目牛とは?

北野天満宮の中でも特に受験生になでられている撫で牛があります。

それは、赤い目をした「赤目牛」の像。

楼門を入ってすぐ前のところにあります。

赤目の牛の目を触ると、頭がよくなるといったうわさが受験生たちの間であるようです。

なぜ、赤目なのか理由ははっきりしませんが、ひとつには、道真の仕事のお供をしていた牛が、道真を何日も何日も待っているうちに、まばたきをしなくなったって赤い目になったという説があるようです。

北野天満宮の立ち牛とは?

「赤目牛」のほかにも、北野天満宮には、珍しい牛の像があります。

道真の使いとして、境内に牛の像や彫刻が数多くみられますが、それはすべて、横たわった姿。

それは、牛が伏して動かなくなったその場所に道真を埋葬したという伝説によるものですが、北野天満宮の拝殿の欄間(らんま)に刻まれた一体だけが、なぜか“立った姿の神牛”になっています。

これは、北野天満宮の七不思議のひとつにもなっているとか。
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さて、撫で牛をなでて、ご参拝した後は合格祈願の絵馬などを社務所で購入。

合格祈願の絵馬やお守り

絵馬にはサインペンも付いています。

学業のお守りの種類も豊富で鉛筆もありました。

  • 祈願絵馬 600円
  • 学業御守(桐箱入り)2000円
  • 学業札 2000円
  • 勧学札 700円
  • 勧学守 700円
  • 学業守 1000円
  • 学業鉛筆 6本800円、12本1500円、24本3000円

絵馬に祈願することを書いた後は、絵馬掛け所に奉納させて頂きました。

どこに掛けようかと悩んでしまうほど、沢山の絵馬が奉納されていました。

絵馬掛け所のところの前には鳥居があり、そばには「並ばなくても四方からお参りできます」との立て看板があります。

でも、なぜか鳥居をくぐりたくなるのですよね。
もちろん、くぐってから絵馬かけ所へ^^

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さいごに、受験の神様と言われる菅原道真公について簡単にまとめてみました。

菅原道真が受験の神様と言われるのはなぜ?

菅原道真が「受験の神様」「学問の神様」と言われるのは、簡単にいうと、道真が類まれな才能を持っていたから^^

5歳にして和歌を詠むほど幼い頃から聡明で、さまざまな分野において卓越した才能を持っていたという道真。

いくつもの難関試験に合格し、異例のスピードで朝廷の要職についただけでなく、歴史書や漢詩書を編さんするなど、学問的・文化的功績を数多く遺しました。

当代随一の学者であり、文人であり、政治家として多彩に活躍した道真を多くの人が慕い、「学問の神様」としての信仰が全国に広がっていきました。

天満宮と菅原道真の関係とは?

菅原道真を祀る神社は「天満宮」「天神様」と呼ばれ、全国に約1万2000社もあります。

では、なぜ、菅原道真が祀られるようになったのかその経緯をご紹介しましょう。

平安時代、代々続く学者の家に生まれた菅原道真。幼少の頃から学業に励み、わずか5歳で情緒豊かな和歌を詠み、さらには、格調高い漢詩がつくれるほどの優れた才能の持ち主だったそう。

成長してからも、学者出身の政治家とし異例のスピードで出世し、899年(昌泰2年)には右大臣に任命され、左大臣の藤原時平と並び国の政策に大いに力を発揮しました。

ところが、突如道真の出世を快く思っていなかった藤原氏の「道真が謀反を企てている」とうわさを流す策略により、901年(昌泰4年)大宰権帥(だざいごんのそち)として北九州に左遷され、そのわずか2年後の903年(延喜3年)に、当時道真が住んでいた大宰府政庁の南館(現在の榎社)で生涯を閉じました。

しかし、道真の死後、藤原時平が39歳の若さで病死するなど、道真の左遷に関係のある人々が次々と死んでいった上、洪水や大火なども次々と起こったことから、朝廷はこれらの災いはすべて道真の祟りだと考えるようになり、火雷天神(からいてんじん)が祭られていた京都の北野に、道真の祟りを鎮めようと「北野天満宮」が建立されたそうです。

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まとめ

北野天満宮の合格祈願についてご紹介してきましたが、最後に簡単にまとめてみました。

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撫で牛が受験生になでられるようになったのは、牛が受験の神様と言われる菅原道真の使者として言い伝えられているからと言われています。

どうして牛が使者なのかと言う事に関しては、諸説として菅原道真が。

  • 丑年生まれであった
  • 亡くなったのが丑の月の丑の日だった
  • 道真の遺骸を牛車に乗せて運ぶ途中に、牛が伏して動かなくなり太宰府天満宮に埋葬された

と言われています。

北野天満宮では、赤い目の撫で牛の目をさわると頭が良くなるとのうわさもあるようで、人気のスポットにもなっています。

訪れた方、皆さんにご利益がありますように。

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