阪急京都線の水無瀬駅から15分ほど歩くと水無瀬神宮があります。
周りは住宅街で背の高い建物も少ないので、線路沿いにまっすぐ歩いて行くと、そう迷わずたどり着けると思います。
今回は、水無瀬神宮を訪ねて御朱印を頂きました。
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水無瀬神宮の御朱印
初穂料 300円
御朱印は、境内左手にある社務所でいただけます。
水無瀬神宮(みなせじんぐう)は、和歌山県・奈良県・大阪府・兵庫県・京都府・滋賀県にまたがる150か所の札所を巡礼する「神仏霊場」の第62番札所になります。
御参拝時間 参拝自由
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参道の景色が綺麗です。
ここからは車は入れません。
手水鉢で身を清めます。
平日だからか人が少なく、ゆっくりと参拝しました。
境内の中です。
その他にも水無瀬神宮の見どころがありますので、簡単にまとめてみました。
離宮の水
昭和60年に大阪府で唯一環境庁認定の「全国名水百選」に選ばれたのが、水無瀬神宮の境内にある「離宮の水」。
その源は、水無瀬川の伏流水で、古くから名水とされています。
水無瀬神宮に伺った時にも、若い女性の方が水を汲みに来ていました。
地元の方に親しまれているようですね。
離宮の水の取水時間は6:00~17:00。
客殿(国指定重要文化財)
豊臣秀吉からの寄進により造営された客殿。
造営奉行を務めたのは秀吉の家臣で「賤ヶ岳の七本槍」の1人、福島正則だと伝わっています。
桁行六間、梁間五間の入母屋造桟瓦葺(いりおもやづくりさんがわらぶき)で、全体の形式手法は書院形式で比較的簡素な造りになっています。
茶室(国指定重要文化財)
水無瀬神宮の庭園 にある茅葺き寄棟造り(かやぶきよせむねづくり)の茶室。
「灯心席(とうしんせき)」もしくは「灯心亭(とうしんてい)」と呼ばれ、御所から移築されたものです。
本席(茶室)の格天井には、山吹、トクサ、ヨシ、萩といった10種類もの「灯心=行灯 ・ランプなどの芯」の材料である草木を使っていることからつけられた呼び名なんだそう。
なお、茶室の拝観は予約が必要なのでご注意を。
石川五右衛門の手形
水無瀬神宮の入口、神門(薬医門)の右柱にある「石川五右衛門の手形」。
安土桃山時代の大泥棒として知られる石川五右衛門が、神宝の太刀を盗もうと忍び込もうとしたところ、神威(= 神の威力)で足がすくんで入れず、門柱に自分の手形を押して立ち去ったと伝わっています。
アクセス方法
【住所】大阪府三島郡島本町広瀬3-10-24
鳥居の右側に駐車場があります。(無料)
【電車&バスの場合】
- 阪急京都線「水無瀬駅」
- JR東海道本線「島本駅」
- JR東海道本線「山崎駅」 ※各駅から徒歩約15分
水無瀬神宮の御由緒
「後鳥羽(ごとば)天皇」、「土御門(つちみかど)天皇」、「順徳(じゅんとく)天皇」を祀る「水無瀬神宮」。後鳥羽上皇が造営した「水無瀬離宮」の跡地で、当時は桜や山吹、菊の名所 として知られていました。
1221年、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時に対して起こした「承久の乱」により、隠岐に流され崩御する前、この「水無瀬離宮」で、後鳥羽上皇の還幸の日を待っていた公卿(くぎょう)の水無瀬信成・親成父子に、左右の御手掌を捺した置文を送り、永く後生の菩提を弔って欲しいと託しました。
それをうけ、水無瀬父子はこの離宮跡に御影堂を建立し、後鳥羽上皇を祀ったことが「水無瀬神宮」の始まりとされています。
後鳥羽上皇はこの水無瀬の地を大変好んでいたと伝えられ、隠岐に流されてからも、水無瀬を偲んだ『水無瀬山わがふるさとは あれぬらん まがきは野らと 人もかよわで』『軒(のき)あれて誰か水無瀬の宿の月 すみこみしままの色やさびしき』といった歌を残しています。
まとめ
最後に簡単に水無瀬神宮についてまとめておきますね。
時間がなくて、少しの滞在でしたが境内にただよう綺麗な空気に癒されました。
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