アニメや映画で『ちはやふる』が流行った昨今ならいざ知らず、小学生の時に百人一首にハマった変わった子どもだった私が、この八幡宮をはじめて訪れたのは秋。
東大寺大仏殿から春日大社に向かう途中にあり、境内は赤や黄色の紅葉が見事でした。
手向山八幡宮っていうんだ…。もみじ、たむけやま、何か聞いたことあるなあ…。
「このたびは ぬさもとりあえず たむけやま もみじのにしき かみのまにまに」
口について出たのは百人一首の和歌。
この和歌と深いかかわりを持つ手向山八幡宮に、あらためてお参りし、御朱印をいただいてきました。
手向山八幡宮の御朱印
初穂料は300円。
社務所で授与していただきます。
八幡宮の八の字が2羽の鳩が向かい合う形になっていますね。
この「向かい鳩」は手向山八幡宮のご神紋。
西洋では平和の象徴とされる鳩ですが、日本では武運を祈る鳥で、八幡神の使いです。
オリジナルではありませんが、御朱印帳が8種類用意されていました。
カラフルでかわいいですね。手に取れるよう見本も別に置いてありました。
手向山八幡宮御朱印帳 小1000円。大1500円。
手向山八幡宮の絵馬
絵馬は2種類。一つは先ほどの向かい鳩をデザインしたものです。
絵馬では向かい合う鳩の間が赤いハートマークになっていてかわいい♡
もう1つは立絵馬(たちえま)です。
向かい鳩の絵馬のように絵馬掛けにつるすのではなく、立てて奉納する絵馬で、絵馬の原型ともいわれています。
黒い馬は「あつふさ」というご祭神・応神天皇の愛馬で、馬の上にはこの八幡宮のご神宝「唐鞍」の馬飾りを簡素化したデザインになっています。
同じデザインの土鈴もありました。
社務所では、御朱印や絵馬の授与のほか、お守りやお札、干支の土鈴、御神筆・御神墨の授与も行っています。
昔は旅をするときに、峠にまつられた神様に「たむけ」(※供え物)をして旅の安全を祈願しました。
このため交通安全のお守りやお札がたくさんありました。
(社務所は本殿の向かいにあります。)
手向山八幡宮へのアクセス
【電車】JR・近鉄奈良駅から奈良交通バス市内循環外回り10分~7分「大仏殿・春日大社」下車徒歩15分
*駐車場は、ありません。
手向山八幡宮は東大寺の境内の東の端にあります。
東大寺の大仏殿前の道を、大仏殿に向かって右側、東の方へ歩いていくと鳥居が見えてきます。
手向山八幡宮の鳥居。
この鳥居の手前を左へ上がって行くと東大寺の二月堂・三月堂に続きます。
多くの観光客はそちらへ流れていきます。
この日は参道の紅葉がきれいだったので、それに魅かれて手向山八幡宮の方へ歩いていく観光客も。
八幡宮までは軽く登りになっています。
さらに階段を上ると楼門が見えてきます。
境内に入る前に、向かって右手にある校倉(あぜくら)造りの「宝庫」にも注目。
奈良時代に作られたもので重要文化財。正倉院で有名な校倉造りですが、正倉院よりもずっと間近で見られます。
ちなみに境内に向かって左手にも同じような校倉造りの建物がありますが、こちらは東大寺法華堂(三月堂)経庫です。
手向山八幡宮のみどころ
東大寺と手向山八幡宮
749年、東大寺の守護神として、大分県の宇佐八幡にお願いして来てもらったのが手向山八幡宮のはじまり。
全国に44000社あると言われる八幡社の中で、宇佐以外では最初の八幡宮でした。
8世紀の中頃、東大寺の建設を進めていた聖武天皇。
大仏を作るための銅や金が足りず悩んでいた天皇の夢の中に、八幡神が現れて「大仏を作るのに協力する」と告げます。
この夢の言葉に喜んだ天皇は、大分県の宇佐八幡宮にお願いして八幡神を奈良にお連れしたのです。
その後、九州から銅、東北から金が産出・献上され、めでたく大仏は完成しました。
(手水舎と拝殿)
手向山八幡宮のご神体は「僧形八幡神坐像」でしたが、明治時代の神仏分離によって、像は東大寺の管理になりました。
オリジナルのご神体は1180年の平氏による南都焼き討ちで燃えてしまい、現在東大寺の管理する「僧形八幡神坐像」は1201年に仏師・快慶によって作られたもので、国宝に指定されています。
手向山八幡宮の例大祭である10/5の転害会(てがいえ)の日に東大寺の勧進所で公開されます。
(拝殿から本殿をのぞむ)
菅原道真と紅葉
「このたびは 幣もとりあえず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに」
この記事の冒頭でも紹介した、百人一首の一句。作者は、菅原道真(すがわらのみちざね)。
百人一首では尊敬の意味をこめて「菅家」と呼ばれています。898年の10月、朱雀院(宇多上皇)のお供で手向山八幡宮にお参りしたときに詠んだと言われる和歌です。
現代語訳すると、「今度の旅は急いで出かけてきましたので、旅の途中で神にささげる幣(ぬさ)を用意できませんでした。
この手向山の美しい紅葉を幣の代わりにささげますので、神よ、どうかお心のままにお受け取りください。」となります。
(末社・若宮神社と紅葉。仁徳天皇がまつられています。)
むかしは旅をするときには、幣(ぬさ)という神様にささげる色とりどりの紙切れや布切れを持って行ったそうです。
きれいな幣の代わりになるような素晴らしい紅葉の景色が目にうかびますね。
秋の手向山八幡宮の境内では、黄色いイチョウや赤いモミジなど美しい紅葉が楽しめます。
(本殿の北側。本殿には応神天皇・姫大神・仲哀天皇・神功皇后がまつられています。)
境内には、菅原道真が座って休憩したとされる「菅公腰掛石」があり、その後ろにこの和歌を刻んだ歌碑があります。
手向山八幡宮のおまつり
10/5 転害会(てがいえ)
聖武天皇が宇佐から八幡神をお迎えするとき、東大寺・転害門からお入りなったのが起源。
転害門をお旅所としておみこしがでます。
また神事ですが、東大寺からお坊さんが参列します。神仏習合の古い形が見られるのは奈良らしいかも。
節分の日(*2/3前後)お田植祭
田植えに必要な農機具を用いて、宮司が翁(おきな)(※おじいさんの役)、子どもが牛役をし、舞台で田植え作業を行います。
これは、古い能楽の形式を残しているそうです。
その後、拝殿で一般の方向けに袋入りの豆まきが行われます。
*節分の日は年によって違うので注意。
手向山八幡宮について
【正式名】手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)
【別名】東大寺八幡宮・手向山神社
【創建】749年
【主祭神】八幡大神(応神天皇)・姫大神・仲哀天皇・神功皇后
*本殿にまつられています。
【摂社】《ご祭神》
- 若宮神社 《仁徳天皇》
- 高良神社 《大伴健将》
- 若殿神社 《菟道稚郎子》
*若宮神社の左右に高良神社・若殿神社が並んでいます。
*社殿は鎌倉時代の一間社流造で重要文化財
*本殿の左側の壁にくっついています。
【末社】《ご祭神》
- 阪本神社《大己貴命》
- 恵比寿神社《蛭児神》
*二社合祀殿=2つの神社が同じお社になっています。
- 明武神社《豊玉媛神、玉依媛神》
- 末劔神社《素盞鳴命》
- 八子神社《天照大神》
- 松童神社《応神天皇牛飼童》
*四社合祀殿=4つの神社が同じお社になっています。
*神楽所の右側にあります。もとは東大寺にあったもの。
【主な文化財】唐鞍一具(国宝)、宝庫(重要文化財)、境内摂社住吉神社本殿(重要文化財)、その他舞楽の面・太刀・鞍など多数の重要文化財を所蔵している。
参拝時間
7:00~16:30
- 9月 7:30~17:30
- 10月 7:30~17:00
- 11月 08:00~16:30
おわりに
(春日大社側の入り口。)
手向山八幡宮は、校倉造りの宝庫、菅原道真の和歌、能楽の原形となった御田植祭、神仏習合の名残が見られる転害会など、建物やおまつりなどを見ると、奈良時代から存在していたことを強く感じられる神社です。
東大寺の大仏殿にお参りの際には、ぜひ手向山八幡宮まで足を運んでみてくださいね。
わっきー