東叡山寛永寺の最初の子院として建立した護国院で御朱印をいただきました。
護国院の御朱印の種類や御朱印代、アクセス方法などをご紹介していきます。
寛永寺護国院の御朱印と御朱印代
御朱印代 300円
- 御朱印の種類 大黒天(谷中七福神巡り)
- 御本尊(釈迦如来)
- 観音霊場14番札所
- 上野王子駒込辺三十三ヶ所
- 谷中七福神
江戸最古の七福神と言われる谷中七福神巡りは、神社は入ってなく寺院のみの巡礼札所です。
私は、大黒天様の御朱印をいただきました。
護国院大黒天は、商売繁盛、財運、縁結び、五穀豊穣などのご利益があります。
右上には打ち出の小槌、左下には打ち出の小槌からでた得が入る財布があって嬉しいです^^
ご利益がありますように。
寛永寺護国院のアクセス方法
東西めぐりんバス停 谷中清水町公園下車1分
鶯谷駅北口 徒歩約10分
上野駅 公園口 徒歩約17分
上野公園の裏の東京藝術大学に沿っていくと護国院が見えてきて、護国院の横には東京都立上野高等学校があります。
護国院へご参拝
護国院を目指して歩くと大きく「東叡山 護国院」という字が見えるので分かりやすい。
護国院の名称は「東叡山 寛永寺 護国院」、別名「東叡山 釈迦堂」といいます。
中に入ると、とても風情のある境内が見えてきます。
上野公園の華やかさとは違った、静かな佇まいが護国院にはあります。
護国院は、東叡山寛永寺ができて最初の子院として、天海大僧正の弟子、開基生順が寛永2年(1625年)に建立。
釈迦堂となったのは、寛永7年(1630年)天海大僧正が釈迦文殊と普賢の三尊像(古佛師春日の作と言われている)を本尊として安置したことで、釈迦堂と呼ばれるようになりました。
<護国院の経緯>
- 寛永2年(1625年)今の国立博物館の裏あたりに建立。
- 慶安4年(1651年)家光公の霊 を建立のため北寄りに移築。
- 宝永6年(1709年)綱吉公の霊 を建立のため現在の場所に。
- 亨保2年(1717)釈迦堂が焼失。17177年7月に再建された。
- 昭和2年 上野高校の創立時に境内の土地の大半を譲り現在に至る。
ご本堂の中に入り、中でご住職の奥様?がいらして御朱印をいただきました。
奥様がいらっしゃらないときは、インターフォンがあるので押すと良いそうです。
御朱印をいただく際に、ひとりひとりとお話をされながら御朱印をお書きになられていました。
とても優しく上品な感じがココロを癒やされました。
徳川家光公が送った大黒天画や大黒天木像など貴重なものが沢山あり、近くで見ることができます。